wakatonoの戯れメモ

はてなダイアリーから引っ越してきました。

セミナとカンファレンスと勉強会

このあたり、むちゃくちゃグレーだなぁという感じに…。
id:sonodamさんに、勉強会に行くと、気がついたら主にオレとnezさんが話者に話を振っている〜ちう話を何度か聞いており、「でも『話者から参加者への一方通行』って話者の人が望むことなのかなぁ」という返答をしたあたりから出てきた疑問だったり。
いちお、本来の意味に立ち返ると、

  • セミナ(seminar/ゼミナール)

(大学の)ゼミ; 演習; 研究室; 大学院課程; 研究集会(http://dictionary.goo.ne.jp/ より)

  • カンファレンス(conference)

会議; 相談, 協議; (競技団体などの)連盟(http://dictionary.goo.ne.jp/ より)

  • 勉強会

今のところ、有志が呼びかけて、あるテーマについて知見がある話者から「まず」話をしていただき、そのテーマに関する理解を深めたり、関連するトピックについての知を共有する。

という感じなのかなぁ(勉強会については、こんな感じとオレが思ってるだけですが)。

特にカンファレンスについては、本来は「講演者」が話す内容を元にするものの、「会議」なのだから講演者が話す内容に関連して疑問や提案があったらその時にブレイクが入って然るべきのはずである。勉強会もしかり。

少なくとも、スクール形式の場であれこれしたり、一方通行の色が強い会なのであれば、それはlesson/lecture/trainingという類のものになるような気が、が、が…。ところが、日本ではそうはなっていなかったりします(少なくともオレが参加する範囲のものは、有償/無償を問わず(結果として)そうなってるように見えます)。別にそれが全て悪いというつもりはないですが…。

スタイルはどうあれ、「話者」や「場」に対する何らかのフィードバックが出来るかどうか?を考えながら参加していくと、参加スタイルもずいぶん変わってくるのではないかなぁ、と思います。ここで、「そういうフィードバックをすることが『話者のため』とか『他の参加者のため』にはなっても『自分のためにはならない』という『誤解』」が出てきそうですが、フィードバックの内容から導き出される結論が、自分のためになることも多いです*1。個々の事情に特化しすぎたものは微妙ですが、ある程度一般化できそうなものについてはまぁいいんじゃないかなぁ(何がだ)。

WikiばなDebian勉強会などは、参加の敷居は(普通の勉強会などと比べると)経済的なところ「以外」での敷居が高いように見えますが、何らかのフィードバックを場にしつつ、より建設的な内容になる可能性が高い(Debian勉強会は出たことがないのでなんともいえませんが)ということを考えると、単に話を聞いてうなずくだけではなく、自分なりの意見を申し述べていく、というのはプラスになるかと。

*1:あまり利己的過ぎても嫌われますが、あまり利他的過ぎても偽善者とか言われそうw