wakatonoの戯れメモ

はてなダイアリーから引っ越してきました。

事例は重要だが、その内容の公開レベルを考えることはもっと重要

よしおかさんのエントリで、なんかあれこれ書かれてるのをざっと読んだ。元エントリよりはむしろ、そこから出てきた議論の流れのほうが、今のオレにとっては有用に感じられたのだが*1
特に重要と感じたのは、以下のくだり。


「こんな失敗したよ」という体験的なものは果たして役に立っているのだろうか?たぶんだけど、体験的な情報はよほどの分析を伴わない限り役に立たない。

これは、成功の経験にもあてはまる。
失敗でも成功でも、「前提」「仮説」「実施」「検証」「結果」「考察」の6つが伴わない限りは、単なる経験談にしかならない*2。同じコトやっても失敗した(例:git導入してもリポジトリ管理がうまくいかなかった)という話が出た時に、「同じことやったのに…」とも言われかねない。ちとかっこよくw言うと、ベストプラクティスの真の共有には程遠い。

結果によらず経験談が公開されるのは良い傾向だが、その内容どおりにやって「自分ところもうまくいった」というところまでいくためには、「送り手の配慮」や「受け手の考察」が必要となる*3。せっかく情報を出してくれてるのに、これ以上送り手に負担はかけられないとなると、受け手のスキルが要求されるところだ*4

このあたり、マネジメントシステムの審査内容とか結果を見てる立場としては気になるところだが、

  • ストロングポイント(良いところね)
  • 改善指摘
  • 改善の機会

あたりが明確にわかるように書いてあるだけでもだいぶ違う。もしくは、受け手はこのあたりを意識して成功/失敗事例を見るようにするだけでもだいぶ違う。

*1:失礼極まりないが、書いてしまうことにする

*2:もちろん、経験談でもないよりはあったほうが良いという向きもあるかもしれないが

*3:どちらかは不可欠となる

*4:これは、質問力とか想像力とかか