wakatonoの戯れメモ

はてなダイアリーから引っ越してきました。

オレオレ憲法論…

某所の某氏の発言ですが、「憲法」なり「法律」に書いてないから保障されない、というのは極めて安易な弁説であると考えますが…。
 今みたいにインターネットの利用が活発に行われる前の話ではありますが、少なくとも佐藤幸治先生の著述では、以下のように述べられてますね。


【取材源秘匿の問題】

 ここに取材源秘匿とは、公衆に対する情報伝播の目的で、内々の信頼関係を通じて取材した場合の取材源(狭義の取材源秘匿権)及びかかる関係を通じて得られた情報(広義の取材秘匿権)の開示を強要されない権利をいう。

 これは、情報収集権が肯認され、かつ、収集活動におけるかかる内々の信頼関係の保護の必要性が認められる限り、該収集権の内実をなすものと解される。

 秘匿権も、重大な公共的利益(とりわけ公正な裁判の実現)による制約を免れないが、この権利はその性質上何よりも確実性が要請されるから、安易な利益衡量に逃げ込むことは許されない。

佐藤幸治憲法第三版」538頁)


この「取材源たる国民→(少数の)マスコミ→知る側の国民」というステップが変容した(取材源たる国民とマスコミの距離が、限りなく近くなっているのがblogの現状とオレは思います)ことを受けて、「どうあるべきか」というのを(もうすこしメタなレベルで)議論し、双方ともに受け入れられる結論を導き出すのは意義あることだと思います。

しかし、いきなり立脚点が「匿名は悪」というのは、はなはだ過激すぎやしませんかね?議論の立脚点(問題提起)として、このような説を挙げるのであればまだしも(最善とはいわないです)、「オレはこう思う。論拠はオレオレ憲法(オレオレ憲法解釈)による」というような話は、「コモンセンスの集合体たる法律」をもってお仕事をする弁護士の行動としては、ふさわしいものといえるかは疑問ですねぇ…。

…確固たる根拠のもと「で持論に自信を持つ」というのは大切なことですが、それと「持論が受け入れられないからだだをこねる」というのは全然別物ですよ…orz

少なくとも、説得力のある論述と冷静な議論が、そういうときこそ求められるのではないでしょうか?