「オープンソース」と呼ばないで from Linux.com Japan
mhatta師による文章だが、「呼んでほしくない」ケースはまさにそのとおりかな(もしくは、そう呼ばれない権利を主張した場合と言ってもいいかもしれない)。
以下、自分の経験も組み合わせてフォローしていってるので、人によっては全くあわない人もいるかも。
これは終始一貫して氏の主張で語られていることでもあるが、そのとおりというか、それ以上でもそれ以下でもない、とオレは思う。
オープンソースというのはソースコードが「オープンソースの定義」で
規定された特定の状態に置かれているというだけのことであって、社会
改革運動でもなければ何でも出てくる魔法の小槌でもない。
オレも必要があるとモノを作ったり公開したりしているが*1、ライセンスをきちんと付与しなければならないようなものについては付与するようにしているし、過去に行なった移植などについても改変部分などは元のライセンスに従って公開してきた*2。
別にこれは、フリーソフトだのオープンソースだの(失礼)ということは関係なく、
- 元になったものがそういうライセンスを付与されていた
オレの場合はGPL
- 配布したら幸せになれる人がいるかもしれない
もちろん自分も幸せになれるかも。そして配布する以上は改変部分も明らかに。
というレベルの話だ。要は
- 決め事は守る
- ウケねらい(笑)とちょっとの幸せの探索(?)
というだけのことである。
たったこれだけのことで、しかもそのつもりもないのに
と祭り上げられるのは嫌だし(さすがにやってることが小さすぎるんで、そこまではならんと思うけど)、もしそうさせられるとかいうのであれば逃げる(笑)。もともとはノンポリの平和主義者のつもりだし。
「オープンソース運動」とやらの闘士