「同人誌と表現を考えるシンポジウム」行ってきたよ
本日は、「同人誌と表現を考えるシンポジウム」なるものに参加してきました。
つうことで(?)、所感。
シンポジウム第一部の簡単な所感
一番大きいのは、法令順守のためのアクティビティや、(ゆるやかではあるものの)ガバナンスが機能してるってのがわかったあたりですかね。 以下、箇条書きみたいにw
- 自主規制のベースとしてあるのは、「あくまで『出してほしい』から、法的に出して問題ない内容とするための確認」であり、何が何でも規制したいわけではない。
- チェック基準は、みんながみんなてんでばらばらにやっているわけではない。即売会、印刷所、販売店は相互に意見を交換しあいながら、本の発行者も含め、不利益をこうむらないように指導・判断したりということをやっている。
- いわゆる商業誌と同人誌では、基準は異なる(同人誌の方が厳しい)。
- 発行者がどこまで責任をかぶる気があるか?というので、チェック結果は変わりうる(たまたまのミスなのか、わざとそうしているのか、というあたりがとか)。
- 男性向け作品のサークルよりも、女性向けサークルの方が、刑法175条関連の理解が疎い。対岸の火事的な見方をしているが、そんなわけはない(単に摘発された事例に乏しいだけ)。わいせつの定義に別に「男同士のアレは含まない」などと「かかれてるわけではない」ので…。
表現として穏当なものをチョイスしてますが、シンポジウムの中ではもう少し直接的な表現wが用いられておりますwww
シンポジウム第二部の簡単な所感
各人、表現の規制がかかりかねない状況にあることは、立場に応じた危機感を持っていることがよくわかった…。
特に、「あいまいであることの良さ」が、だんだん失われてきている(刑法175条のあいまいさと、各種法律により輪郭が浮き出てきていることを対比している)というあたりは切実である、というのは、パネラーの(おそらくだけど)一致した意見であろう。
あと、個人的に興味深かった(前から思っていたことだけど、今回のパネラーにも(専門家の立場から)同じことを考えている人がいた)のは、
- 臨床的には、(同人誌読んでるかしらんが)オタクカルチャーに親しんでる人は、犯罪に走った人はいない。
というあたりだろう。いないというのは言いすぎかもしれんが、巷で言われてるような「犯罪者予備軍」ってのは事実無根という感じか。
抑圧された欲求の解放先として二次元に走った上で、そこで満たされてしまうと、そこから出てこなくなるwということもあわせて指摘していたがwww
○○を見たから××をしたというのは、あくまで「当人がそういうことをする資質」を持っていて、あくまで○○を見たというのは「触発された」だけであり、本質ではない、というあたりか。
これはオレの考えだが、「○○を隔離したところで、○○と同等の(隔離されていない)刺激が与えられたら、多分そいつは××するね」という感じ。この考えをその人(精神科医の斎藤先生)は肯定してくれたことになる、というところか。
なんにしても、形式を満たすと即犯罪認定されてしまうような法律が出来てしまうと、芸術作品や、名作といわれるものですらも「わいせつ物」「ご禁制品」になってしまう危険性があるwので、そういうあたりはきちんと声を上げてかなきゃねー、というところでしょうかね。
シンポジウムに参加して〜活動や考え方のアピールって重要だなぁ
結局、同人誌自体がアングラ・サブカル的な要素を持っており、制御してない印象をもたれている(ガキが好き勝手やってら的に見られてる)あたりから脱却しなければ、というところに帰着するんだろうなぁ。
世界的に見ても、個々人がこういう形で(それも多くの人数が)表現活動をしているってのが、かなり稀有というか驚異という発言があった。
少なくとも、その表現活動におけるガバナンスってのは、そのコミュニティ内ではきちんと機能している(ように見える)。しかし、そういうガバナンスが機能しているという「事実」を知ってる人はそうはいない。
なので、きちんとそういうことはアピールしてかにゃねぇ、というところになるかなぁという感じか。