wakatonoの戯れメモ

はてなダイアリーから引っ越してきました。

技術者間の技術継承は廃れたか?

少なくとも、前段で述べた「OSや〜」についての開発技術については、間違いなく継承がされていない(もしくは継承されていても小規模)だろう。
これはある意味当然のことだ。
よしおかさん自身は、この点については以下のような感じで述べている。


NECがスーパーコンピュータを歯をくいしばって作っているが、そーゆー技術の継承という観点から、技術開発をとらえられないか。そーゆー話である。儲からないからやらない、というだけでいいのか?そーゆー話である。

なんでもかんでも米国の技術に依存して自分で物を作る事をあきらめて、それでいいのか?そーゆー話である。

少なくとも、「米国の技術にべったり依存」ということは、オレが業界に入り始めた十数年前はまだひどくもなく、少なくとも自前でOSの設計や開発を行うだけの技術力は有していた。

が、ここで「オープンシステム」なる(いわば)黒船がやってくる。
この黒船は、「ダウンサイジング」という言葉とともにやってきた。
「ダウンサイジング」の名の下に、まさにIT維新とも言うべき改革があちこちで行われた。

この維新、とにかく手のかかる古いものを捨て、新しいものに乗り換えようという動きだったように見える。
結果としてこの維新は、大量のリプレース需要と大量の雇用促進を行った。
しかし同時に、「製品に頼る」という悪癖もSIerに植えつけていったような風だ。

ここである。
製品の組み合わせでなんとかする、という風潮は、パッケージ製品もしくは半パッケージ製品を組み合わせ、なるべく「つくらずになんとかする」という風潮を生み出した。
このような取り組みは、自社製品を担ぐことでも行われてきたが、ここで言う取り組みは、他社製品が大半(もしくは他社製品ばっかり)のところでなるべくつくらず、というところである。自社製品をコアにしてどうするという話ではない。
自然、会社の技術屋さんは社内失業状態になったり、無駄飯食いと忌み嫌われたりという状態になっていく。
そして、このような取り組みは「原価低減」「品質向上」の旗印として、「ソリューション」という(これまた)新しい言葉を与えられ、広まることになる。